自分との競争

友人と話していて、競争が強いるストレスについての話題になった。

他人との競争。それは良きライバルがいるときは、そのストレスは程良い緊張感とも言え、成長のきっかけになったり頑張る力を与えてくれる。

実はもう1つの競争が僕らの心の中に住み着いている。それは過去の自分との競争だ。以前の自分より良い結果を出したい、追いつきたい、とする心は誰しも持っているものだし、そう考えることでより高いところに立つことができるだろう。

しかし、そのストレスは良い緊張感とは違うことに気がついた。自分を追い込む割には、プラスのエネルギーに転化しない。おそらく、ここまではできた自分を神聖化しているため、できないとまずいというマイナスの考え方がエネルギーを奪うのであろう。

今の自分にしかできないことがある。それはある“分野”では過去の自分に到達しないかもしれないけれど、逆に今の自分だからこそ別の“分野”で新しいことができるかもしれない、何か新しい価値を見出せるかもしれない。ここで言う“分野”とは、物理的なものだけではなく、気持ちの持ち方や周囲への影響といった、精神的・社会的なものまで含まれよう。

競争は美しい。僕はいつもそう思っていた。速いものは美しい、という機能美から来る発想である。世の中は競争を敵視する声もあるが、競争があるからこそ進化してきた歴史でもある。競争がない世界は退屈だ。自分をみつめなおしたい。もっと強くなりたい・・・。

しかし、より速く、より強く、より大きく、より便利に・・・、だけが競争ではない。より心の豊かな、より社会に優しい、より人にも優しい、などの価値で“競争を楽しむ”ことができたら、もっと気が楽になるのに、と思った。

ここまで書いたにもかかわらず、自分は、それでも過去の自分と競おうとする別の自分がいることに気がついた。過去の自分を捨てることはできない、という感覚はいつも襲ってくる。困ったものである。それでも、過去の自分にないものを見つけ、それを新しい価値として見出す努力を続ければ、過去の自分と競う自分もいつかは納得するのでは、と思っている。




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