僕が育った静岡でのおはなし

昨日の夜から静岡市に来ています。

静岡は小学3年から4年にかけて自分を育ててくれたところ。しかし、いくら住んでいたからと言っても相当昔の話である。懐かしいと思うよりも、新しいことに触れることの方が多い。だって、家の周りしか覚えていないし、住んでいた地域は僕らが引っ越してから開発が進んでしまったのだ。

さらに、当然お酒のことなど知らないから、地元の旨いものを知らない。子供の記憶で出てくるのは安倍川もちとミカンくらいだろうか。そんな訳で、昨晩飲みに行ったときは完全に観光客である。

静岡はおでんがおいしい。昔、静岡の友人宅をお邪魔したときに頂いたのが静岡おでんの初体験。昨晩は、「大作」という居酒屋でそのおでんを頂きました。

おでんの汁は黒っぽい。味がしっかり滲みるのは勿論のこと、その上に青海苔をふりかけるのが静岡流らしい。この青海苔が風味を加えてくれて、実においしいのです。

そもそも、野菜や練り物が中心のおでん、僕はつい最近まで好きではなかった。最近やっと、野菜のありがたさとか、おいしい野菜を頂くことの幸せについて、感じるようになって、おでんがおいしく頂けるようになった。それに、そもそも太ってしまったので、おでんは体に良いのだけれど。あのおでんくんも言ってましたよね。

30年前に話を戻そう。静岡では、たった2年しかいなかったのに、たくさんの友達に出会うことができました。その後僕は東京に越してしまい、音信が途絶えてしまったけれど、みんな元気にしているのだろうか?担任の先生が素晴らしい方で、僕らに自分の考えを表現することや、生き物や植物を大事にすることを、日記や育てることを通じて教えてくれた。大袈裟ではなく、その先生がいなかったら、今の僕にはなっていなかったと思う。

自分のこの体験から、小学校の先生が持つ影響力というのは、かなり強いと言える。先生もご苦労したに違いない。しかし、その先生が強い意志と熱意を持っていたことは、小さかった僕にも分かった。先日の教育力で言うところの、先生が持っている「あこがれ」だ。

僕は将来の終の仕事として、教育に携わりたいと思っている。今日思ったことは非常に示唆に富んでいると思う。高校生以上の高等教育でイメージするところの「教える」ことと、小学校とりわけ低中学年で効果的な「教える」というのは違うのではないか?

もちろん、低中学年でも授業はするし、テキストや黒板と向き合って、じっくりと考えたり使えるための知識を覚えることは大事だ。しかし同時に、「行動すること」と「表現すること」を習慣化することは大事だと思う。静岡での2年間は僕のルーツと言っても言い過ぎることはない。まだ、知ることに対しての純粋さが勝るうちに、本質に近い部分を体験させるのである。

そんな記憶が蘇るだけで、この町にいるだけでワクワクします。実のところは、ほとんどの時間を食事と飲みに充てているだけですが…。それでワクワクしているのを美化しているだけでしょうか。




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