社会的責任

今週は、ある証券会社の日本株ストラテジストさんと話をしていました。

僕が勤めている資産運用の会社は、おかげさまで顧客からの支持を得て、業界の中では大手と言われるようになった。そのため、いろいろな証券会社やデータベンダーからアプローチがある。その多くは「ビジネスをさせて欲しい」というものだが、ときおり「何をしたら良いでしょうか?」という御用聞きのような話まである。しかし、この方は違う。

「こういうことをやっていますが、どうお考えになりますか?」というところから入ってくるのだ。御用聞きとは明らかに違っていて、この方が具体的で話しやすい。時に、普段考えている方向とは違った角度から考えることができるので、本当に有難い。

話がしつこくなるが、お客に「どうしたらよいでしょうか?」と先に聞くのは、営業のテクニックかもしれないけれど、唐突な質問ほど答えにくいものはない。僕もありきたりの答えになるので、具体的な話に発展することは難しい。

話を戻そう。先の証券会社の人と話していると、「今やっている領域や前提から離れて考える」機会に巡り合う。たとえば、日本の金融規制が他国の市場に対して遅れていると感じていて、どう対応するかという議論などだ。こうした議論には意味がある。直接、かつ短期ではビジネスにつながらないかもしれないけれど、会社も大きくなった分、社会的に意見を求められていると考えるべきだろう。

振り返ってみると、今の会社で作っている商品は、業界の中では希少性が高く、それを出し続けることで一定の評価を業界から得てきたと思う。その意味では、社会的責任を果たしているとも言える。

商品は幾つかの枝分かれをして、今では複数のラインナップになっているが、基本的な商品性は頑固なまでに一貫していると言える。運用サービスの場合、時にはその頑固さが命取りになることもあるが、マーケットは短期的には間違えたり雰囲気に流されることがあるから、方針を曲げないことがうまくいく場合が多い。

しかし、過去4年半ほどの間、最初の商品を中心にして、商品の一貫性を保つことに集中するあまり、基本に立ち返った議論や、今の制度が変わったときの商品の修正などは、あまりエネルギーを注いでいなかった。このことを一歩引いて考えると何が言えるだろうか?


今の制度の下で良い商品を送り出すことは社会的に意味があるが、今の制度を良い方向にするための意見を言うことも、社会的な意味があると言えよう。

ビジネスは、単に儲かる商品を作るということではなくって、お客さんが欲しがるものを「そっ」と出してあげることだと思う。なので、大所高所からの議論は、目先の収益にはつながりにくいけれど、長期的には戻ってくると考えることは、確実性は低いものの期待はできるだろう。

時間的な制約から企画倒れになる可能性もあるけれど、少し広い視点から議論に参加し、違った形で社会での意味を間接的にでも果たせたら良いと思う。




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