夢、未来のために・・・

今日は、自分の「こうしたい」「こうなってみたい」を書いてみます。

『夢』と言うと何を連想するだろう・・・。人によっては、豪邸に住むことかもしれないし、お金に困らないことかもしれないし、自分で会社を持つことかもしれない・・・。

確かにお金は重要だ。一億総中流と言われた時代はとっくに過ぎ、苦労して大学を出て会社に入ってもその会社は潰れるかもしれないし、外資に買われてしまうかもしれない。競争社会は、おそらく昔以上に過酷に既になっていて、下流上流などの二極化が叫ばれるようになって久しい・・・。それは社会学者が言うようなマクロ的なレベルだけではなく、狭いエリア、例えば会社の中でも二極化は進んでいるように思える。

そうなると、必要最低限なお金という考え方はあるものの、「もし」競争社会に身を置くのであれば、目標は常に高いところに設定しないと、どこで転落するか分からないし、そうなったとすると、いろいろな計算も狂ってくるだろう。

なかなか難しい世の中だ。引き続き、『これ』と道を1つに定め、そこへ自分を固定する生き方も有効だとは思う。しかし、世の中の動きにある程度敏感かつ柔軟である必要もあるだろう。そうした「自分を使い回す術」は、不安をある程度抑えながらも楽しくやっていくための、したたかさを養う道具になるかもしれない。

『使い回す』という表現は、もう少し具体的な言葉で言うと「キャリア構築」なのだろう。いや、キャリア構築は綺麗な言葉でありすぎる。その言葉は、既に成功した人の軌跡を、抽象化しているだけに思える。つまり「表だけを見ている」のに過ぎないのではないか。

本当のキャリア構築は、その言葉がイメージさせることよりも、もっと泥臭いはずだ。いろいろな分岐点に立たされ、悩んだ挙句に自分を決断させていかなければならないという残酷さも備えているだろう。


話を元に戻すと、ある程度のキャッシュフローを確保するためには、相応の専門性や先見性は備えていかないといけないのだろう。しかし、それだけではなく、それと平行して、自分は将来何をやりたいか、どんな人生を送りたいのか、を考えることができると良いだろう。

僕は、幸か不幸か、いまだ競争社会の中に生きていて、しかもここ10年程はもの凄いスピードで駆け抜けている状況にいる。駆け抜けていると書くと格好が良いが、「駆け抜けされられている」と言った方がはまりが良い。責任が重くなるということは、『僕』とのバランスが崩れる可能性も大きくなっていることであり、このまま今見える道だけを走り続けていたら、近いうちに潰れてしまうかもしれない。

きっとここで言う『僕』とは、ここで書いていきたい『夢』のことなのだろう。

僕は、どこかのタイミングで自分の経験を、子供たち、特に日本に産まれた子供たちに還元していきたいと思う。日本の会社と外資の会社の両方にいて見てきたこと、実感してきたことを伝え、どうしたら逞しく、しかし自分を見失わずに生きていくか、を一緒に考えていければ、それほど楽しいことはない。




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