仕事モードの弊害 〜 日常会話から思うこと

仕事での会話の特徴を挙げてみよう。例えば、「次に何をすべきか」という会話のときは「前向きの思考回路」が使われているとする。「何故そうなったのか」という会話では、「分析的な思考回路」が使われているとしよう。他にもいろいろな回路もあるが、本題ではないので今日はこの2つに絞らせていただく。

これらの回路をプライベートに持ち込みすぎるとどうなるか。僕は、空しい思いを感じる。しかも、その回路は意図もなく、自然体で動いてしまうから厄介なのだ。

例えば、僕は趣味が比較的多く、休日ともなるといろいろなことを休みなく行っている。使うモノについても、ある程度のこだわりがあるし、それを駆使して「次にどんなことをやってみようか」「そのためにはどうしたら良いか」といった調べ物をしているときは、楽しい。飽きることがない。

しかし、こうした行動がエスカレートすると、「何か新しいものに挑戦し続けていかないと・・・」といった感覚になる。それは、「焦燥感に駆られている」と言ってもよい。このことに、最近気づいたのである。

いつからそんな風になっていたのかは分からない。前向きに解釈すると、「好奇心がいつも旺盛」という言葉で説明がつくし、自分でもそれをずっと肯定してきた。それを今さら全否定するつもりはないし、自分と付き合う上では大事な個性の1つでもある。しかし、物事にバランスが必要だとすれば、もう少し違った時間の使い方、あるいは気持ちの持ちたいと思うことが最近増えた。

最初に触れたような「仕事モード」の思考回路がプライベートに侵食しているとも言えるだろう。仕事という波にノリにのって、20代と30代をあっという間に過ごしてきたので、休みもその延長で動いていたのかもしれない。また、僕は、家族とコミュニケーションを取る努力が足りないと思っていて、相手との会話においては、「何をするか」「何をしたか」という行動を言葉に変えるだけで、日々過ごしてきたような気がする。

コミュニケーションについてもう少し言うと、僕は感じたことをストレートな表現で表すことは得意ではない。日記に書いていくと、考える時間が間に入るので、そこそこの表現を残すことはできる。しかし、相手との会話においては、素直に思ったことをその場で言うのは、今でも意識を集中しないとできない。

このように思ったので、最近は、焦燥感に駆られて何かをしたり、その計画を話すことを控え目にするようにしている。それよりも、今日は何があって、話し相手が何を思って、自分には何が起きて、自分はどう思って、相手はそれをどう思うか、ということを話したり聞いたりしていこうと思っている。飲んでリラックスしているときなどは最高のチャンスだ。もっとも、最近は先に酔ってしまって、ベッドに直行というケースも多いけれど・・・。

当たり前のことを書いていて、恥ずかしいと思う。しかし、僕という人間は、思考や計画が先に頭をよぎってしまい、感情がなかなか前に出ないから、こんなことを真顔で悩み、真顔で書いている。こんな人もいるのね、という感じで受け流してもらえれば有難い。




こちらへも遊びに来て下さい。→金融の10番は日本人に任せろ!