自らへ語りかける

家内の看護と自分の治療を兼ね、仕事を休ませてもらって病院通いが続いている。世間から見ると僕はかなり仕事一筋だったのだろう。家内の両親や自分の両親に、かなり心配をかけてしまっている。

家内が最初に倒れ、そして自分がかつてかかった病気が再発したのも、何かの知らせなのだろう。実際、ここ数日は薬の作用が大きく、また自らの疲れも一気に表面化し、すっかり疲れ果ててしまった。

しかし、この疲れを自分がストレスに耐えられなかったというショックとして考えるのでなく、体が発している警告だとして素直に受け止めるようにしている。そして、これから先、どのような生活習慣を、そして体のケアをすべきかを家内とともに話しているところだ。

今回はめまいを伴うので、病院の往復では気をつけるようにしている。最初に難聴になったときも経験があるのだが、こうした類の不調は、体のセンサーが反動なのか薬の作用なのか、いつもよりも敏感に働くので、その感覚を大事にしようと誓う。

足先の一歩、周囲の音に対する自分の耳の感覚、いやそれどころか空気を音で感じるというのだろうか、そして呼吸を通じて感じる空気の味、匂い、自分の平衡感覚・・・。

こうして列挙していくと、まるでスポーツの大会の準備をしているようだ。例えば、準備体操をしているときに筋肉の張り、呼吸をしたときの酸素の吸収度合い、基本動作の確認、足裏の感覚、体軸のバランス・・・。

いずれも自分の肉体を客観的に観察し、調子を見ながら調整方法を決めていく。良い日もあれば悪い日もある。慌てても、焦っても良い結果には結びつかない。スポーツという特殊な状況に限った話ではなかった。日常生活に同じ感覚を取り入れても当然だ。

この10年は特にものすごい勢いで駆け抜けてきた。その反動であると言える。体に無理をお願いして走らせてもらった。今回は、体を休ませてあげる番のようだ。

そう思いながら、病院の周囲を少しだけ散歩した。ここ数日間ですっかり見慣れた光景。しかし、下ばっかり見て歩いていたのだろう。今日は、まだ咲きかけの桜がこちらをのぞいていることに気付き、曇り空を少しだけ明るく透かせてくれていた。




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