休むことの難しさ

耳鳴りとめまいの治療に入って2週目。1週目は家内の病気の看病が中心だったから、治療に専念するようになって1週目の後半を迎えている。

ここにきて休みことの辛さが出てきた。仕事をしたいという欲求が出てきたのではない。今でも、パソコンにたった1時間でも向かっていると著しく疲れを感じるので、一日の殆どがデスクワークの僕の仕事の復帰にはまだ程遠い。しかし、かといって家にいて本を読んだり体を休めているだけの生活も辛い。軽い運動は、耳鳴りが納まると良い処方であるようだが、あくまても”軽い”というのがポイントで、僕のようにめいっぱい体を動かさないと気がすまない人にとっては物足りない量だ。

復帰したら何をしようとか、そのためにどんな本を読もうとか思えば思うほど、休養の意味からかけ離れていく。頭では、この機会に少し違う分野の本を読もう、と思い自分に意識的に言い聞かせているけれど、根っこの無意識の部分では、なにかやらないといけない、という焦燥感がにじみ出てくる。新聞を読んだだけで、そういう”自分”が顔を出すのだから、性質が悪い。

休むことが得意な人は、ストレス耐性も高く、仕事も生活も安定するだろう。僕も、実はその得意な人の方だとばかり思っていた。何故なら、会社生活19年では、それで機能してきたし、おかげさまで実に多くの仕事、大きな仕事をさせてもらったと思っている。でも、休みのときに僕がとってきた行動は、何か打ち込めるものに没頭し、その間仕事を忘れることによりリラックスにつなげていたり、あるいはその中でふと仕事のことを考えたときに仕事のアイデアを得たりという感じで、交感神経をフルに活用した、アドレナリン主導の休み方だったのに過ぎない。

今回は、いやもしかすると僕の場合これ以降は、副交感神経を働かせた、リラックスそのものが休みに必要な要素であるらしい。

しかし、人がその考え方を理解し、変える努力をし、そして実践するのは容易ではないらしい。自分の性格が邪魔をする。禁煙や禁酒、ダイエットなどが難しいというのも、本質のところでは全く同じだろう。医者から脅かされて、変えることはできるのかもしれない。めまいや頑張りすぎの治療というのも、同じ考えにたってやってみようと思う。



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