自分史としてのブログ

今日のもう1つの記事でも書いたけれど、この半年くらいを振り返るだけでも、自分の考え方がずいぶんと変遷してきたことが分かる。

分かると書いたのは自分だけの世界で、もともとブログは自分のことを宣伝するものでもないから、前の自分がどんな人だったかというのは読んでいる人には分からない。それどころか、自分は分かっているようで、実は自分自身がよく分かっていない中で、さらに思考や行動が変わっていくから、その変化を言葉で客観的に表すことは難しい。なので、「分かっていない」と一言で片付けるのが簡単に決まっている。

しかし、その「分からない」を何となく表現してみたいという欲求はある。自分史を一冊の形でまとめてみようとは思わないけれど、ブログの中でそんな流れができてくれれば良いと思う。

思えばこのブログを始めたときの記事で、自分のことを話すのが得意ではないと書いた。この点については、現実の自分の世界で、少し改善されつつある。改善とは言っても、ペラペラ自分のことをしゃべるようにはなっていないし、もともとそんな人にもなりたくないから、基本的な性格や押しの弱さというのは変わらない。しかし、話すべきときに表現をすることはできてきたように思う。

一方で仕事に対する考え方や、いわゆるワーク・アンド・ライフ・バランスの取り方もこの半年で変わってきたと思う。それは、以前に「日記」のカテゴリーで書いているが、仕事を始めて19年ほどは我武者羅に働き、自己実現イコール自分の能力向上という意味で、ある一定のレベルの仕事をさせて頂いたことと関係している。

仕事というのは社会的な自分を表現するひとつの場で、その場で社会的な地位が得られれば得られるほど、人が期待するものがその地位に見合うものになっていき、そして自分の存在も自分らしい自分ではなく、その地位に位置する自分というものになっていく。そうなると、「あれっ、自分は何者?」という疑問が出てもおかしくないだろう。

そんな流れから、最近の話題はもっぱら病気と闘っている様子ばかりだけれど、病気をするということは自分自身と向き合うことでもあるから、その過程で仕事も含めた自分らしさを見つめることにあがいているように思う。

自分探し、と言うと最近の若者のことを形容する言葉のように聞こえるが、いくつになっても自分探しというのは切れないのだと思う。僕は、自分探しの旅をするために様子見で仕事をするのは賛成ではない。19年で、2つの会社、おおよそ5つの職場(職種)を経験しているが、ひとつの仕事や職場から投影される自分というのが自分をみつめる良い機会になったりするからだ。




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