書評〜こころの格差社会、達成感を追い求める人生から得られるものは?


海原純子さんの『こころの格差社会』を読んだ。個人的には、このタイトルとサブタイトルにある「ぬけがけと嫉妬の現代日本人」はいまひとつ内容と一致していないと思うのだが、仕事って何?、自己実現って何?という問いに対する考え方を見せてくれるような内容だ。

僕はこれまではっきりと書いてこなかったけれど、自分は常に、より良い仕事、責任のある仕事、面白いと思える案件と達成感、そして見返りとしての処遇、周囲からの賞賛、について自分を奮い立たせて来たと思う。時にストレスも抱えたし、自分の時間や家族との時間を犠牲にしてきたこともあった。しかし、運や周囲の協力のおかげもあって、そうした過ごし方を続けられたと思う。

海原さんはこのことを「外的用件」と定義し、それを追い続けることのゆううつさ、満ち足りることの難しさを説いている。

こういう言い方はとても高慢に聞こえる可能性もあるが、僕もその意見には賛成である。今、認識しかけていることの一つに、自分の生き方はこれまで追い求めてきた何かを追い続けることではない、ということでもある。

卑近な例を挙げると、よりよい何かを求めても、さらに次のよりよい何かを求めてしまって、決して満ち足りることがない。自分は何かをしていないと落ち着かない。そして、その何かとは何らかの形で仕事と結びついている。ストレスのはけ口は、アドレナリンを刺激するような刹那的な趣味や時間であって、暇つぶしや気晴らしの域を出ていない、など。

そう書くと、今までの生き方が無意味だったようにも響くが、決してそうでもない。追い求めるというフォーマットが浸透した世の中でさえ、社会的にある一定の経験を積んだからこそ、次のステップに進む準備が出来ていく、とも海原さんは言っている。そうした経験により、その次に必要となるコミュニケーション力や、次のステップの持つ価値観を受け入れることができる、ということだと思う。

では、何が次のステップなのか?この先は、読む人それぞれが考える問題でもあるが、すくなくとも以前の日記で言っていた自己実現と共通はしているし、まだ自分でも整理しきれていないところでもある。

自分のやりたいこと、というのはそもそも新卒で会社を選ぶときに考えた問題である。その気持ちに色あせることは40歳を過ぎた今でもないが、より大きな仕事や評価される仕事を追い続けた結果、当初の思いから少しはずれてきたような気がする。このことは、病気で立ち止まったからこそ、認識できたとも言えるし、ここで紹介したような本によって我に帰ることから認識できたとも言える。




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