藤子・F・不二雄さんの『ミノタウルスの皿』という短編漫画集がある。

僕の大好きなオバQが載っているとあって、すごく楽しみにして読んだ。

その物語は正ちゃんがすっかり大人になったところへQちゃんが久しぶりに現れて・・・、という内容なのだけれども、その正ちゃんが子供の頃に頂いていた夢と現実との差について触れている。シュールな話である。正ちゃんの夢は自分の夢とは違うけれど、子供の頃はそんなことも考えずに漫画の世界に入り込んでいたはずだから、正ちゃんの、そして藤子先生の考えにはすーっと共感が及ぶ。

この話とは完全に対応するものではないけれど、僕も最近、自分の仕事人生について抱いた夢と、現実についてふと考えることがあった。

僕の仕事選びは、「どうしてもこれ」というものではなかったけれど、自分の得意な分野や好きなことを選んでいった結果、そして憧れに近づいてみたい、という願いから、突っ走ってきた。幾度となく、自分の夢について酒場で語り、努力をしてきたように思う。

努力というのは、「近道的な努力」と「下積み的な努力」の両方を言っている。下積み的な努力は、僕に柔軟性や多様性を受け入れる力を養ってくれた。一方で、近道的な努力は、「こうなりたい」自分を常にそこに呼び寄せ、集中力や粘り強さを養ってくれた。

しかし、まだ大学を出る前の自分に、「こういう仕事をしたい」という考えを持つのは難しかった。20年近く、社会人経験をした今の自分にはそれがある。このことは、決して悲観でも諦めでもない。若いときはそのときの興味で良いと思う。そのときに後悔しないよう自分で考え、準備し、結果を受け入れるだけの努力をしたらそれで良いと思う。

後になればなるほど、軌道修正をしたり、軌道修正をしようと試みたり、そしてその軌道修正に必要なスキルを身につけることは難しい。自分にとっての興味や価値観は常に変化する。出来得れば、その変化に敏感になり、その変化に柔軟かつ対応可能な自分になっておきたい。

これから仕事をする人、まだ若い人には、下積み的な努力も怠らないことを勧めたい。それだけでは駄目だけれど、それもないと後に志向が移ったときに、自分を対応させることが難しくなると思う。




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