山を登ったら今度は?

今は仕事を休んで充電中の身だが、そろそろ始動を・・・と思い、この機会にこれまでやってきたことを振り返り、次にどういう考えで仕事をするかを考えている最中・・・。

今日は「仕事観」というのかなぁ〜、これまで20年の間にやらせてもらった役割のそれぞれにおいて、何に興味を持ち、どう行動し、周囲の評価がどうで、それでどういう機会や運に助けられて今の自分があったかをまとめてみた。肯定も否定も含めて・・・。

僕の場合、体調を崩す直前の仕事が不調だったから、それは仮に多くの要素がマーケットのせいと言ってしまったとしても、やはりうまくいかなかったという事実は事実なので、どうしても否定的な要素がついてくる。そういうことと向き合うのは辛いけれど、それを乗り越えてこそ、次の準備ができると思う。

世間では株主資本主義が行き過ぎた、会社経営が短期志向に陥った、という論評があるが、僕の仕事がこうしたこととも無関係ではないと思う。そして、そういう中において、今でないと言えないし気付かなかったのだが、盲目的になった部分もあるし、何しろ忙しくて本質的なものを考える余裕がなかったとも言える。

自信をもってやり遂げたこともたくさんある。それは少なからず社会のためになったと思う。しかし、そうしたことを積み重ねるうちに、個人の責任も大きくなり、また会社が発展するに従い株主の期待も高まったから、仕事や期待という流れを止めて、立ち止まることが許されなかったと思う。


少し視点を変えて、会社組織での必然について考えてみた。

大きな会社でも小さな会社でも、それなりの人材はいる一方で、常に人材難だと思う。それは会社がより高いものをめざしているからこそなのだと思えば当然なのだが、そうなると「こいつは使える」という人に仕事を集め、そして出世という名を伴いつつ活躍の場を与える。

活躍の場を得たのは良いが、そこで客観性を貫くことが難しいことをこの時に知った。例えば、上役になっいくと、社内外を安心させるための言動が大事になっていく。すなわち、演じることが求められる。その状態で、公式の意見と、それと反する意見を常に対比させ、議論を闘わせるのは、自分の中だけに限ったとしても容易ではない。

もちろん、それができる人も数多くいるだろう。自分の場合は、力が及ばなかったのか、変化のスピードについていけなかった。しかし、これが今の時代なのだということも知った。

良かったこともたくさんある。僕は、あるきっかけを境に、自分が目立つことよりも人材育成とチーム編成を第一に掲げたから、結果できあがったチームは強力だったと思うし、後任にバトンを渡すのも難しくはなかった。


仕事のモチベーションって何だろう?

昇進やより大きな役割を目指して仕事を頑張るということ。僕は昇進は後からついてくると思っていたので、大きな役割を目指し、そして何より自分の仕事が好きだったから、仕事に没頭し頑張ってきたが、そうした生き方をするということ。このいずれにおいても、自分を、仕事という場で高めることは大きなモチベーションとなったし、結果としてこれまでの楽しい仕事生活を送れたと思う。

一方で、高めた自分をどう活用していくか、それは人によっては絶えることのない上昇指向に尽きるのかもしれないが、僕はそれを意識しながら仕事をすべきだと今は思う。自分を高める先にあるもの、高い頂きは人生の後半に来るかもしれないし前半かもしれない。高さも人それぞれだろう。登ることを目的とするだけではなく、登った自分をどうしたいのか、その経験や感動をどう使っていくか、を考えながら登ることは意味があるんじゃないか、と思う。




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