成功体験との付き合い方

成功体験は残した方が良いのか、捨てた方が良いのか?勝ち癖を付けるという点では残した方が良いのだろう。しかし、何か新しいことをするときに、過去の成功体験はどれくらい活きるのか?

とある本を読んでいて、ふとこうした疑問にぶちあたった。その本は、これまで成功体験の乏しい若者が、自分のやりたいことを信じて努力を重ね、それが実を結ぶストーリー。

僕とは比べ物にならない程、その人は追い込まれ、それなのに力強く前に進むのだが、考えてみたら僕にもそういう時期があった。力強く念じて動くことによって到達したい点に向かっていった、のである。

手前味噌に聴こえてしまうのを承知で言うと、自分もそうした頑張りの結果、仕事が次第に大きくなって、会社では重要なポストを担うことになった。当時は忙しくて味わう余裕はなかったが、振り返るとその達成感はとても大きかった。重圧に負けないよう、それまで以上に懸命に頑張っていた矢先のことである。ビジネスそして自分の体調に逆風が吹いたのだった。

成功体験というスキが心に宿っていたのかもしれない。「あれは運ですよ」とか「誰がやってもそうなりましたよ」と言ってくれる人もいるが、物事に必然があるとすると、気持ちの持ち方が違っていたら、違う結果にもなったかもしれない。

この話は、まだ整理できないので、別の機会にしたいと思う。今は新しいことに踏み出そうとしている。しかし、過去の成功体験とどのようにつきあっていったらよいのだろう?

先に挙げた本「若い人が努力をして欲しいものを手に入れたストーリー」を読みながら、ふと「自分の成功体験が邪魔だ」という思いに駆られた。では、ある種の成功をして、そして失敗または踊り場に立たされた人は、本当にすべてを捨てないといけないのだろうか?

「自分はやればできる」という気持ちは、過去に「やってできた」という経験があるほど、強いものだと思う。本当に何もないところで頑張る力と、一度「道筋」を見た人が頑張る力は、違うのだろう。

つまりこういうことだ。成功体験は否定すべきものではない。しかし、成功した結果、得られた環境で胡坐(あぐら)をかいていてはいけない。環境や行動を自ら変えるくらいの勢いで、「やればできる」という何かに向かっていくのである。

そのためには、やりたいことをはっきりとイメージし、達成することを念じ、チャレンジャーの気持ちで仕事に打ち込む必要がある。自ら、努力を続けるのは大変なことだ。しかし、いくつになっても、その気持ちは大切なのである。




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