頑張ってしまうこと

頑張る、気合いを入れる、成し遂げる、達成する、結果を出す…。

こうした言葉、僕は大好きだし、それを心の拠り所にしてきた。

しかし、気合いが空回りすることってある。結果を出ないと焦る、自分を責める、努力が足りないと叱咤する、体を酷使する…。

たまたま昨日紹介した「潰れない生き方」と重なるけれど、僕のような思考パターンの人は潰れやすいのだろう。

何故、頑張ってしまうのか、を考えてみた。体育会系だったこと?男子校だったから?親からの遺伝?

どれも関係はあるけれど、決定的ではない。それよりも、僕が幼少から小学校高学年に至るまでの、自分に対する意識が、影響していると思われる。

当時の僕は、自分に自信を持てず、何をやっても上手くいかず、やさしさが裏目に出ていじめられ、頼りなく、自分の顔を鏡で見るのが嫌いだった。

小学校も終わりに近づくと、自分に自信を持つ出来事が上回り、自我が形成され、その後は今の自分に至るように、能力の向上に努めてきたようである。それは、今後も続く道であり、自分のこれまでの生き方の大きな部分を占め、そして今後も占めるだろう。

それだけなら良いが、自分の中、とりわけ奥底には、「自信のなかった昔の自分に戻りたくない」という脅迫観念がある。それは良いときには原動力になるが、悪いときには自己否定につながるようである。

自分をほめる習慣を持つと良いらしい。モノでねぎらうのではなく、小さなことを言葉でほめてやる。

昔読んだSF小説、「アルジャーノンに花束を」をいつも思い出す。脳手術と知能発達が物語を作っているので設定は違うのだが、昔ダメだったのが一度は良くなって、でもまたダメになってしまうという実に悲しいお話なのだ。

自分はそうはなりたくない、というのが常にある。心が何かに囚われるというのはおそろしい。頑張るということは今でも良いことだと思うけど、僕の場合は思わぬ副作用が潜んでいるようだ。

何かが上手くいかないとき、自分には気付かない因子が存在する場合があるようだ。




こちらへも遊びに来て下さい。→金融の10番は日本人に任せろ!