ビジネス書バブル

ビジネス書が飽和状態にあるらしい。内藤忍さんのブログにもあったけれど、先日書店に行って面白そうな本を物色していて、そう思ったのである。「似ている本が多すぎる。」

タイトルに食傷気味なところもある。内容がタイトルほどに衝撃的でなかったり、必ずしもタイトルが内容を表していないことが多い。自分で書いてもいないくせに、えらそうな口をたたいているが、消費者としての意見だから許されるだろう。

本や音楽は、手に触れるまでは内容が分からない。もちろん、評論や評価は参考になる。しかし、最後は自分で触れて、知や血(肉)となるかどうかだ。だからこそ、内容に対して抱いた期待と、実際触れた後の感想との間に、マイナスのギャップがあると悔しい。

学術論文と違い、オリジナルな新しさや論点の違いというのが分かりにくいのも災いしている。学術論文の場合は、オリジナリティがないとそもそも審査を通らない可能性があるし、仮に素通りしてしまったとしても、著者の評判に関係してくるから、安易な著作は生まれにくい。

出版の場合は、数があまりにも多いために、審査というフィルターは機能しにくいのだろう。それに、内容にオリジナルなものがなくても、表現や文章が上手ければ、それがオリジナルになることだってあるから、一概に学術論文と比較するのは難しい。

しかし、ビジネス書の場合は、娯楽よりも情報を取ったり考えを深めることに目的があるわけだから、似たような本を排除していくのは重大な作業である。良い本を地道に発掘していくしかないのだろう。だからこそ、ブックレビューなどで、自らも発信し、言いにくい辛口意見も素直に表現していくことに意味はある。

最近は、いわゆる仕事術に関するビジネス書には飽きを感じる。「だからドラッカーのような古典が流行るんだ」という人もいて、なるほどと思う。僕は、著者が現役のビジネス・パーソンか、引退直後の経営者の本は注目するようにしている。逆に言うと、ビジネス書だけを書いている人は、現場感覚が薄れているような気がして、文章は上手くても、あまり惹かれなくなっている。

そういう自分も、現場感覚が薄くなっているので、仕事術に関する記事は技術的なものにならざるを得ない。伝えたいことを、そう思ったときに伝えるということが、基本であるわけだ。




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