後出しじゃんけん?書評〜エコノミストを格付けする

以前に紹介した「日本経済新聞は信用できるか」の著者の東谷暁さんの別の本です。こちらの方が先に出ていて、結構反感を勝っているようです。

東谷さんはジャーナリストなので、後出しじゃんけんではないですよね。(エコノミストと同じ土俵でじゃんけんする人ではない、という意味です。)でも、彼の書き方が、「自分の方が経済は詳しい」ような印象を読者に与えてしまうので、「後からだったら何でも言えるじゃん」という反感を買ってしまうのかもしれません。また、読み進めていくと、おそらく東谷さんは反小泉で反アメリカという意見を持っているようにも受け取れるので、その是非はともかく、中立性に欠けるような印象を受けました。

僕はこの本を批判するような立場にはありませんが、いち消費者として発言すると、エコノミストに期待するものは人によって違う気がするので、東谷さんがエコノミストを格付けする際に予測力や文章力を見ていることについては、僕は違和感を感じます。確かに、予測力の高いエコノミストの方が良いですが、僕が勤めた企業はエコノミストの意見を鵜呑みにする人はいませんでした。大抵、仮定や論理に無理があるところは、それなりに「おやっ?」と思うからです。エコノミストを使っている企業はそんな接し方なのではないでしょうか。

確かに、政府に入るエコノミストや、雑誌などで発言するエコノミストは、その文章や言動には気をつけてもらわないといけないと思います。その意味で、政府関係のエコノミストは、少しハードルを上げて見ていくべきでしょうし、エコノミスト同士や投資家、評論家などは論評を積極的にしています。

ところどころで彼の「エコノミストたるものこうあるべき」というような意見が繰り出されるのですが、1つの側面から捉えた正論であって、別の側面から踏み込むコメントが聞けないのが残念です。例えば、米ドルの将来について、10年を超える先をコメントするエコノミストは役に立たないようなことを言っているのですが、僕はそういう見方が底流にある上で今の見通しを出す分には構わないと思っていて、エコノミストが10年超の話を偉そうに話してはいけない理由は何もないと思います。

彼がエコノミストを格付けする際に見ている「一貫性」や「論理性」については、良い視点だと思います。ただし、東谷さんは意見を変えるエコノミストは嫌いなようですが、僕は、意見を変えた理由をはっきりと示すエコノミストは評価しても良いと思います。東谷さんが指摘するように、説明もなく意見を変えるエコノミストは、信用できないという点はその通りだと思います。

読む方にも斜めに見るくらいの覚悟と姿勢が必要なので、読みやすい本ではないと思いますが、別著の「日本経済新聞は信用できるか」同様に、こうしたことを書く人は他にいないので、貴重な本だと言えます。そもそも、エコノミスト同士の議論が分かりにくかったり、権威と呼ばれる人の意見を「権威」として取り上げたり、出版社が本に付ける帯が商業的だったり、あるいは気鋭とか新鋭という言葉に踊っていたりするので、読み手が単純に混乱するのだと思います。そういう意味で、第3者が評論するのはとても大事だし、こうした出しにくい本を世に問うことには意味があると思います。

気になるのは、東谷さんは何を目指しているのか。彼の、時に執拗とも取れる、論文ならびにコメント・ウォッチの力はすごいなあ、と思うのですが、それをどう活かしたいのでしょうか?社会人である僕たちもそうだけど、これから経済学を学ぶ学生にとっても、さまざまな議論を客観的に案内する人は必要で、ジャーナリストの力は必要だと思います。日経新聞や他の経済紙の質を上げるとか、海外の視点も並べながら読者に提供するとか、そうした議論や努力がもっともっと必要なのでしょうねえ。

エコノミストを格付けする (文春新書)

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