仮定に頼るのは良くないなあ 〜 書評、老後に本当はいくら必要か

このタイトル、ついつい手に取りたくなる本ですよね〜。金融村出身の著者の経歴はすごいし、ハイリターンの金融商品は疑おう、と主張するあたり、資産運用をもっと大きな視点で考えるのに良い本だと思って読みました、が・・・。

「本当はいくら必要か」と言っておきながら、肩透かしにあう本。話題が広すぎて、中身が伴っていない。

最初は、金融商品の選び方で、金融商品を作る側、売る側の論理を明かしながら、退職後の生活に備える人がどんな商品に手を出してはいけないか、について語る。今後の日本経済は、国債が大暴落しない限りはインフレも低いだろうから、ハイリターンを求めるべきではないというのはおっしゃる通りだと思う。山崎元氏あたりの主張と変わらず、新しいものはないが、理屈と説得力がある。

しかし、本書の投げるボールがストライクゾーンだと思うのもこのあたりまでで、何故富裕層が優遇されるのか、という週刊誌でも書きそうな内容に入っていく。週刊誌を否定する意図はなかったが、その週刊誌でも、時に多少の無理を承知で客観的事実から話を強引にもっていくのに、津田さんは「本書では書けない」でさらっと終わる。業界事情的な話は、まあ津田さんの経験から言えるとして、投資銀行の癒着の話などは、「東スポ」くらいの感覚でしか書いていなし、読む側もそれ以上は読めない。金融界にいると、よく聞く噂話ではある。津田さんがどれくらいその核心に接しているのかは、この本からは窺えない。

津田さんが言いたいことはその後にあって、民主党政権が金持ち優遇から中間層向けの政策に力を入れるはずだから、これまで数十年続いた世界が変わると思って良いのでは、という仮定である。この本が書かれたのが、鳩山さんが辞任する前だったことを差し引いて考えても、その仮定の現実味については一切書かれていない。根拠はあったのだろうか。もっとも、今となっては、実現が遠のく話ではあるのだが。

老後の生活設計についても、仮定による記述がある。いわゆる住宅を担保に借り入れを行うというリバース・モーゲージが今後日本でも出てくるだろう、という書き方だ。リバース・モーゲージは確かに意味のある商品だが、昔信託銀行が80年代に同じような商品を出し、その後の土地価格の急落で担保価値が下がってしまったという問題があった。金融機関の問題と言ってしまえばそれまでだが、そういうリスクも含めての選択肢であると僕は思う。

では何年くらい生きて、年金がどれくらいで、生活資金はどれくらい、という話は一通り出るのだが、「こう考えたら良いだろう」という数字がいきなり出てくるくらいで、後は「将来のことは分からないから、まずは10年先を考えよう」と無謀な意見が飛び出す。

定年後の心の持ち方、趣味の選び方、ボランティアに参加する際の注意点などや、起業をするならどういう心構えが良いか、などは読んでいて退屈はしない。しかし、著者の津田さんはまだ50代だから説得力という点では経験談として語れる他の著者に劣る印象だ。いっそのこと、彼が知識を仕入れた人の著作や、具体的なエピソードをしっかりと紹介して欲しい。

この本からは、残念ながら「本当にいくら必要か」の答えは得られない。もっとも、「いくら必要か」は個人によって本当に違うから、その考え方だけでも得たいものだが、それも著者が頼る「仮定」による部分が大きいから、自分なりの筋道を見つけるのは難しい。とは言っても、現役世代の、老後を控えた人すべてにおいて、考えるべきポイントは羅列されているから、そうした目的で読むには良いかもしれない。しかし、僕はそれらの記述から得るものは何もなかった。

老後に本当はいくら必要か (祥伝社新書192) (祥伝社新書 192)

老後に本当はいくら必要か (祥伝社新書192) (祥伝社新書 192)


【編集後記】
渋谷のHMVが8月22日で閉店だそうです。今日はその閉店セールに行ってきました。音楽を、ジャケット、店員さんのディスプレイ、コメント、そして視聴コーナーで聞く音楽、の組み合わせで買う場所が、また一つ減ってしまいました。(既に、新宿高島屋HMVが閉店しました。)

確かにネットで試聴はできるし、ある程度のコメントも検索できるけれど、それらが一つの場所にあって、五感とまでは言わないけれど、感覚的に選ぶという楽しみと実際の効用というのは結びつく気がするのです。それは僕が、ネット世代と言うには歳をとりすぎているだけかもしれないけれど、購買意欲という心理面も含めて、リアル店舗で買う意味だと思っています。

渋谷のHMVは、かなり愛用していました。いろいろなCDを試聴し、いろいろな音楽、アーティストに出会うことができました。渋谷HMV、ありがとう!





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