書評、緑の帝国 〜 世界銀行とグリーン・ネオリベラリズム

少し前に「貧困削減と世界銀行」という書評の中で、「世界銀行と米国の関係について気になる」と書きましたが、それに対する1つの見解が、この「緑の帝国」から得ることができます。ただし、本書は米国について焦点を充てたというより、世界銀行の組織に注目したものです。その功罪については、「もうお腹いっぱい」と思うほど、徹底的に糾弾しています。ただし、著者の独りよがりでもないようです。多くの参考文献が参照されていますから、かなりの人々が世銀のやり方について問題を感じていることが分かります。

本書は批判を繰り広げていますが、最近このブログで取り上げた類似の「世の中に批判的な本」が放つ汚い言葉や暴力的な表現はないので、お子さまでも安心して読むことができます(苦笑)。訳本なので、少し表現は難しいところがありますが・・・。

世界銀行が行う開発融資は、開発援助を受ける側に立ったものではない、というのが大きな主張です。では誰のための開発かというと、援助する側、とくに世銀に出資を行っている米、日、英、独、仏の企業であるという点です。

開発の裏に、援助を受ける国のさらなる窮状があるのだ、というのが本書の指摘です。例えばラオスのダム開発では、先住民の強制移転が行われ、自然環境が破壊されるという事態が起きている。南アでは水道事業が民営化され、水道代金が払えない人々が続出し、水道が止められてコレラが蔓延した。こうした事態を起こしたのは、融資に細かい条件を付け、開発か現状維持(すなわち貧困維持)かを迫った世銀のせいだ、と本書は言います。

本書が紹介する幾つかの事例より、その動きを見ることができますが、良く理解できないのは、では世銀という組織はそれにより何を得て、何をめざすのかという点です。つまり、何らかの権力が作用しているのであれば、世銀や世銀出身者はもっと大きな権力を持っていてもおかしくない。確かに、世銀は融資原資を運用しないといけないから、融資先を見つけ相応の利回りを得ていかないといけない。しかし、それだけでは理解できないほど、開発援助を行う国に向きすぎた政策が行われている。謎です。

本書が言うように、世銀が融資を進めたいがために盲目的に貸付を行ったり、脅迫的な指導を行ったことは悪いと思います。世銀という競争相手のいない事業においては、世銀は開発援助の知識・経験において独占的な強さを持ちます。つまり、そうした強さを利用して、世銀の地位を自ら高めていったことが容易に想像できます。本書では、世銀が「環境に融和的かつ持続可能な開発」を進めていくにあたって、世銀自身が膨大なデータを独占し、アカデミックな知識を流布し、自らその知識を正当化していくということも、批判の対象にしています。高等な洗脳とでも言うべきでしょうか。しかし、それは知識欲とか占有欲のようなものとしか映らなくって、もっと深いところの動機を理解するには力不足です。

おそらく、世銀の動きをどの出資国も止めなかったことと、すなわち、出資国による資本の論理が暴走とまでは言わなくても、制御不能だったことが理由だっただと思います。

訳者が解説で書いていることに、世銀による『農業技術の革新が相対的貧困を増大させたという批判は正当なものであるが、食糧増産により多くの人を飢餓から救ったという指摘の対比により世銀の活動を再検討していく』ことが必要で、それは本書では分からないとあります。僕も、本書の批判は大変有益なものだと思いますが、では世銀が悪意を持ってそれをやってきたかというと、それを裏付けるものは見つからなくって、しかしやり方は非常に不味かったのだと思います。

では、どうしたら良いかというのは本書では残念ながら触れていません。世銀を巡る根本的な問題は、開発援助とはいえども、世銀が行う援助は融資だから、例え低利だとしても返済可能な事業にしかお金は回らないし、子供たちへの教育や医療機関の建設、廉価な上下水道の整備というのは対象にならない訳です。つまり、真の貧困政策としての形を成していない。さらに、世銀と民間銀行との線引きも良く分からなくなります。

開発融資から話が反れますが、援助に関わる話題として「無償援助をすると、それに甘えてしまうという状態(モラル・ハザードが機能しない状態)に陥り、貧困から永久に抜け出せない」という意見を耳にしますが、僕はまだ勉強不足なので、近いうちに調べてみたいと思いました。貧困問題の解消・緩和は非常に難しい問題だと思いますが、世銀が行う融資だけでは駄目だし、仮に寄付がモラル的に問題ないとしても、その寄付だけでは駄目なのでしょう。問題は重層的で、かなり複雑な議論が必要そうです。

本書が指摘するように、世銀が条件付で融資した先に、先進国の企業が物資調達や開発事業を優先的に行うというのはいただけません。本来なら、そうした点に対し、国際機関が指導力を発揮する必要があります。例えば、収益の一部を現地に還元したり費用を安くするなど援助国に友好的な企業を評価したり、現地の雇用を促進する企業を評価するなどです。積極的な情報開示によって、投資家がそうした企業をサポートするという新しい形の開発援助ができるかもしれません。そうすれば、新しい形の開発援助ファンドも生まれるでしょう。世銀債に対する選択肢ができることで、世銀の独走を防ぐことにも役立ちます。

緑の帝国―世界銀行とグリーン・ネオリベラリズム

緑の帝国―世界銀行とグリーン・ネオリベラリズム



【編集後記】
自分の専門外のテーマでしたが、とても勉強になりました。僕が手にとった本は、2008年2月に発行された第1刷のものですが、貧困問題に対する関心が続いていくと、この本の刷数も増える予感がします。
誰か著名な人が言っていたのですが、たまには専門外の本を読むと視野が拡がってよろしい、と。新書がブームですが、新書ばかりでなく、難しそうな専門書が本当の力になる、と。その際に、専門家が薦める本を読むか、刷数が多い本がお薦めだそうです。多くの人が読んでいる本は、一般に相応の理由がある、と。そんなお話を思い出しました。




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