機会平等と結果達成の長い道のり

昨日気になった、2つの記事・出来事を最初に取り上げてみたい。その2つは一見、何の関係もないように見えるが、実は関係があるのではないかと考えさせられたのだ。


1)中国の反日デモ
僕は中国事情の専門家ではないが、分析筋によれば、今回の暴動の影には中国国内の格差問題があって、その不満が形を変えて出た一面がある、という見方があるそうだ。
たまたま見た映像では、デモに参加した人は若者が圧倒的だった。一見では、ほとんどが学生である。ネットでは、「官製デモだ」と見る人もいる。事の真意は分からないが、いずれにせよ職に就けない若者がいて、内陸部と沿岸部では平均所得が2倍以上も違うそうだ。このことから、機会が平等であるとは言い難い現実がある。


2)デフレと日本化
ブログ「金融そして時々山」さんは、「日本の問題点はデフレに陥ったことよりも自信を失ったことだろう」とニューヨークタイムズ紙が論じたことを書いていた。
その中で、米国と対比するような恰好で、日本は創造的破壊を行えず、「若者たちが進取の気勢を失っている」ということが取り上げられていた。
創造的破壊とは、字のごとく既存のものを破壊するような新たな考えを持ち込むことで、それにより経済が発展し雇用も産まれる。クリステンセンが言うところの「破壊的イノベーション」だ。話は脱線するが、菅首相の「一に雇用、二に雇用」ではなく「一は創造、二は雇用」なのだ。


上の2つは、対象である国もテーマも違うものの、若者を扱ったニュースである。一般に若者は時間はあるが金はない。そのため、将来に対する期待や機会には貪欲で、その特権が失われたときは、経路はさまざまだとは思うが、いずれ国が力を失うことさえ起きるだろう。

日本も中国も、政治が機会を産み出したり、再分配というシステムを再構築することによって、問題の幾らかは緩和されるだろうが、それはこうして書くよりもはるかに難しい。若者のエネルギーというのは、時に止められないし、一度失われた信用を取り戻すのには倍以上の時間がかかるだろう。

日本は、おそらく今の中国内陸部よりは機会平等という点でマシなはずである。もちろん、その平等さというのは十分ではないだろうが、問題はその仕組み部分よりも、破壊的イノベーションが行えないと見られているところにある。

日本のお家芸は、昔はモノマネ、最近ではカイゼンにあると言われた。先のクリステンセンは、破壊的イノベーションと差別化するために、持続的イノベーションという用語を与えた。持続的イノベーションでは、例えばデジカメの画素数が上がるなどの性能アップは起きるが、技術革新や競争激化によりモノの値段はどんどん下がっていく。コモディティ化という現象である。コモディティとは商品のことだが、コモディティ市場というと、大豆や米などの農作物から銅や金などの貴金属を取引する場である。市場が成立するほど、一般化された商品という意味がこめられている。

若者に限った問題ではないが、日本は、ちょっと良いものを開発するよりも、何もないところから開発したり、発想を転換して価値を生み出すという仕事に、もっと積極的であるべきだ。これは、個人の仕事にブレイクダウンしていくと、最近紹介した本「残酷な世界で…」の主張でもある。

経済だけを考えた場合、お金は何に対して支払われるのだろうか?もちろん、製造原価(サービスの場合は人件費)に一定のマージン(上乗せ)は支払われる。しかし、それ以上の値段を喜んで払う場合とは何だろうか?

突き詰めていくと、次の3つの価値のいずれか、あるいは組み合わせに、それ以上の代金(プレミアム)を支払うのだと思う。1つめは創造的破壊である。2つめは「おもてなし」ではないだろうか。最後は、「希少性や趣味性」であって、ネット・オークションで定価以上の値段が付く場合に見ることができる。これは個人の嗜好によって、値段がかなりバラつくし、ゼロの人も多いので、ここでは触れない。

人がお金以外の価値を受け取るときは、モノを介してか、ヒトを介してだと思う。モノに、快くお金を払う場合は、そのモノに価値があるときである。過去に認めた価値はどんどん陳腐化(コモディティ化)して値段が下がる(デフレになる)から、創造的破壊が行われたモノが、企業から見て良い値段で売れていくし、消費者から見て欲しいと思う商品である。

ヒトを介する場合、サービスそれ自体にも「あっ」と思わせる創造的破壊を起こすことはできるだろうが、多くの場合は、「配慮」といった心の遣い方に対する対価ではないだろうか。

「おもてなし」と言えば、ちょっと前に東国原記事が使って印象的だったし、最近では歴女が喜びそうなこんなものまである。国内の事例を見ていくのも楽しいが、世界的にみても、日本人や日本文化、日本のサービスには他国には負けない「おもてなしの心」によるものがある。外国人が日本に遊びにくる場合、日本のおもてなし力は、商品になるだろう。つまり、観光資源であり輸出資源であるのだ。

すると、若者が就職を控えるまでに、「あなたは創造的破壊の世界で生きるのか、おもてなし力を発揮して生きるのか」という問いを発しておきたい。実際の世の中は、その2つを組み合わせて生きることになるだろうし、創造的破壊と言っても、何もみんながiPadを開発する必要はない。

そうではなく、世の中の現実として、どちらかあるいは両方の力を高めることが、特にこれからの時代には必要なのだということを伝えるのである。




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