オリジナルを壊せ!〜自分のものにする勉強法

最近は、気になる記事や言葉があると、Evernoteクリッピングです。Evernoteは、クラウドのソフトウェアなので、文章や写真がPCや携帯上で見れることが前提です。クリッピングは、ワンクリックで終了しますが、同時に見出し(タグ)を付けておくと、後からタグを頼りに引き出すことができます。もちろん、タグに頼らなくても、検索機能を使えば、気になる記事にたどり着くことができます。

一方、紙の記事にも気になるものは多いです。

ニュースなど事実を報じる記事は、電子媒体で追ってクリップするという方法が、速くて便利です。その結果として、紙の媒体で取っておきたいと思えるものは、論文や論説などに絞られてきました。そうした記事は、代替不可能なものが多いので、紙の記事をとっておきたいという考えになるのです。

紙の情報を電子化するには、スキャナーが欠かせません。スキャナーからEvernoteに送ることは、スキャナーの速度が上がり、かつEvernoteのアドインも便利なので、物理的には簡単になりました。

しかし、記事を送るとき、その内容を一行で表すタイトルが必要です。なぜなら、電子化(自炊)したファイルはPDFなどの画像情報だからです。OCRを通じて文字にすれば良いのでしょうが、それは面倒ですよね。すると、後から検索しやすいようなタイトルを自分で付けなければなりません。

このとき、新聞や雑誌の見出しは、あてにならないことが多いのです。例えば、先日「不確かな時代の確かなこと」という見出しの論説があったのですが、これでは何を書いているのか分かりませんね。

内容は、政治家が選挙ばかりを気にして「個人」に対する政策を優先しがちだが、雇用創出と納税という点で、「企業」に対する政策の優先度を上げるべきだ、というものでした。そうであれば、このファイルのタイトルは、「政府の顧客は個人だけではなく企業も、雇用創出・法人税海外移転阻止」の方がしっくり来ます。

タイトルにしては長いのですが、検索にはこの方が引っ掛かりやすくなります。新聞の見出しと、保存文書のタイトルは、目的が違うということが分かりますね。

普段、何げなくやっている作業も、その後に行われる行動やその作業の意味に注意を払うと、疑問が生まれます。そして、やり方を変える方が良いという結果になり得ます。こうした思考を持つことと、行動を一致させることは、いろいろな場面で重要です。


学生のときに、黒板を完全にうつすのを止めたのも、同じ思考によるものでした。先生が板書を書いて、それをノートにうつす。おそらく小学生の低学年から習慣化された行動です。

しかし、先生によって板書に癖があり、たくさん書く先生もいれば、ちょっとしか書かない先生もいます。さらに、ポイントを要領よくまとめてくれる先生もいれば、そうでない先生もいます。

たくさん書く先生は、うつすだけで考える時間がないまま授業が終わってしまいます。逆に、ちょっとしか書かない先生は、後でノートを見ても、授業のことが思い出せない。それでは、せっかく勉強した意味も半減してしまいます。

先生のせいにするのは簡単ですが、そうとも言ってられません。また、自分の理解に穴がある部分は常にあって、それが板書のポイントになるとは限りません。先生が何気なく話した言葉に、理解のポイントがあって、それを書き留めておくことが、板書よりも有益な情報であることは少なくありません。

僕のノートは、板書をうつしながらも、それに自分の感じたことや響いた言葉をノートの余白に書いていきます。後で見返したときに、板書というメインストリートよりも、そうした路地裏情報の方が、理解を呼び覚ましてくれるのです。

そんなノートは、大学生になったとき、試験前ともなると友人から人気を集めたものです。

ノートをキレイな字で書くことも、ほぼ同時期にやめました。ノートを丁寧に扱うことは大事ですが、字をキレイに書くことと、理解を深めることは別の問題です。


新聞記事を保存するときも、黒板をうつすときも、元のオリジナルを崩して自分のものにする、ということはいかに大事であるかが分かりますね。


【編集後記】「大学生が試験前に友人のノートをコピーする。」当時は、何気ない行動として見ていました。気のいい友人は、昼ごはんをご馳走してくれたので、僕も心よくノートを貸しましたし、そんな僕だって、人のノートをコピーさせてもらって、勉強したこともあります。80年代の大学生は、経済が好況だったためか、クラブ活動やバイトに精を出しても就職できましたから、当時はそれが不自然だと思うことはありませんでした。
しかし、社会人もずっとやっていると、あの時の時間の過ごし方は「本当にもったいなかった」と思うことがあります。それは、今のアジアや米国の新卒社会人を見れば、言うまでもありません。
学生の本業は学業であり、それを優先順位のトップからはずしてはいけないのです。
しかし、当時、僕のノートの最大顧客だった友人は、今では事業で成功しています。その友人は、自分が集中すべき勉強とそうでないものを明確に区別していたのでしょう。大学の単位制度が、一芸に秀でた人には合わないということもあり得ます。何が良かったかというのは簡単には語れないところが、人生の面白いところですね。




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