複雑な郷愁〜変わるものと変わらないもの

昨日より静岡に来ています。

春先にも書いたように、ここは僕の育った第2の故郷のような地です。

今朝は、草薙運動場で嫁さんとランニングをしてきました。この運動場は、野球場2面、陸上競技場2面、サッカー場、体育館があり広大です。僕が住んでいたところから歩いて5分くらいの場所にあったので、小さい頃はよく遊びました。

野球と言えば、春はベイスターズ(当時は横浜大洋ホエールズ)のキャンプ地でした。静岡は温暖なのです。今日の昼間など、東京よりも1枚少なく着て、丁度良いくらいでした。野球場は今でも健在ですが、さすがに老朽化が激しく、最近はオープン戦で使われるのがやっとのようですね。(昔は、ホームゲームが1度は行われていました。)今は改修工事をやっています。

僕が住んでいたのは、小学校中学年です。当時の記憶が鮮明に残っていたら、散歩をしても楽しいのですが、残念ながら断片的な記憶しか残っていません。それに、数十年も来ない間に、街はすっかり変わってしまいました。仮に覚えていたとしても、現実が変わってしまったために、なかなか結びつけられないでしょう。

静岡を含め、車社会と化した地域では、朝夕の渋滞が問題となりがちです。そのため、区画整理が進み、道路が拡張されます。キレイになったのは良いことですが、昔あった家がなくなってしまうのですね。今日も、そんな地域を通り過ぎながら、昔遊んだ友人の家が見つからないので、非常に寂しい思いをしました。

茶畑や、田んぼも姿を消したところがたくさんあります。どことなく、うっそうとしていた運動場周辺も、小ギレイになったような印象を受けるので、拍子抜けしてしまいます。

今でも変わらないのは、学校、公園、駅、神社、そして天気が良いと姿を見せる富士山です。

いつでも富士山が見えるというのは、僕の中では当たり前のことでした。東京に住んでいる今でも、富士山を見ると、心が和みます。

変わるものと変わらないものが共存し、幼いころの郷愁が良くも悪くもざわざわします。しかし、受け容れざるを得ない現実なのですね。昔の想い出をそっと胸にしまって、今を生きることしかできないのです。

できることは、この地を訪れ、自分を育ててくれた環境(社会)と両親に感謝することぐらいでしょう。来るたびに住んでいた地域を散策するのですが、明日は僕を育ててくれた山に登ってみたいと思っています。僕の家は、山の麓にあり、両親に連れられたり、学校の行事により、よく山で遊んだのです。

来るたびに複雑な思いをする場所なのですが、人々が親切で、心が温まることも多いです。少し道を空けただけで、会釈をされてびっくりしました。相手が知らない人でも、人を思いやる心は、都会に住んでも持っていたいものだと思いました。


駅ビルから駿府城跡方面を望む(iPhoneトイカメラで撮影)




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