書評〜移行期的混乱、経済成長神話の終わり

現在、とりわけリーマン・ショックという金融危機後の今が、時代の移行期にあるのではないか、という視点は、いろいろなところで、いろいろな議論の姿で、見ることができるだろう。

本書も、日本で長らく信奉されてきた「経済成長」が今後見込めない時代になるという立場を前提としている。このブログでも、例えば「デフレ経済下の資産運用術」で見てきたように、日本や先進国は先進国化の時代を通過し、新しい時代に入ったと考えている。これまで機能してきたかのように見えた、右肩上がりの経済を前提としたシステムや政策は、既に意味をなくしていると考える。

本書では、先進国化のことをより具体的に、近代化・民主化・都市化と表現し、日本で見られる人口減少は、「民主化の進展そのものが新たなフェーズに入った」と表現している。その表現や背景の分析に異論はなく、歴史的な必然(なるべくしてなった)としてただ認識するばかりで十分なのだろう。

人口減少は総量としての経済力を低下させる(GDPが下がる)ことになろう。しかし、1人あたりGDPが高い国がルクセンブルグであるという例を見れば、日本のそれが下がり続けるとは限らない。ただし、経済成長を追求するあまり、本来考えられるべき「成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ」と著者は言う。このことは、過去の価値観に囚われた戦略が、今後必要であろう戦略と乖離し兼ねないということを意味する。

著者は「自身の著作は処方箋がないという批判を受ける」と自ら言っているように、本書には具体的な提言がある訳ではない。むしろ、現在起きていることは、過去に何らかの原因が少なからずあり、その原因は統計的に表されるものというよりも、もっと末節の、人々の意識や価値観、社会的な変化に見ることができるのではないか、という考え方を持っている。非常に興味深い。好みは分かれるかもしれないが、その認識を行う作業に時間を割くということが本書の狙いである。

人々の労働に対する意識が、近代化という歴史の流れにおいて必然的に変わってきたことは、真新しい話ではないが、改めて認識させられてみると面白い。いや、むしろ戦後の貧しい時代に働いていた労働者が、毎日を楽しんで生きていたという話の部分は、数字的な裏付けはなくても、驚きであった。

戦後、近代化と経済成長を達成できたのは、その時代に生きた先人の苦労の賜物であるが、そうして創られた歴史が今に続き、今という時代を産み出したならば、今後の少子高齢化縮小均衡による社会では、何が我々の幸福を導くのだろうか。

本書が指摘するのは、経済成長を前提とした政策ではない、というところまでだが、僕なりに読み解くと、昔の人々が持っていた「贈与的な労働観」というのが、ふたたび価値を高める時代になるのではないかということだった。

贈与的労働観というのは、本書によると、労働と金銭を等価交換するのではなくって、金銭を超えた価値を提供するところに意義を持つという価値観である。昔の職人さんや、年功序列の企業で働いている人は、好む好まざるにかかわらず、無意識にそうした価値観に従っていると解される。ただ、これには違和感があって、金銭のためだけに働くというのは、必ずしも現在、さらに批判の矛先に上がる西欧の職業観とは限らないと思う。僕の経験では、外国の企業にも、金銭を超えた価値を提供することに腐心している人はたくさんいる。ただ、株主資本至上主義や右肩上がりを期待する時代が、労働と金銭の等価交換を進めたことには異論がない。

話が反れたが、われわれの日々の労働が社会的な価値も産み、それが評価されなくても、自らの職業倫理の一部をなしているというのは、経済成長がすべてという時代から一歩進んだ考えと言えなくもないのではないか。

言うのは簡単だが、実現へのステップは難しい。これまでの労働観が変わってきたのは、歴史の必然だとすれば、ふたたび労働観が変わるためには、それ相応の社会的・経済的な必然がないと簡単には事が転じないからだ。

誰にも先は読めないが、核家族化や個人化が進んで今の時代があるならば、今後のさらなる高齢化は家族への回帰を進めることになるかもしれず、家族観の変化を通じて仕事のあり方や生き方も変わるかもしれない。あるいは、家族を超えたコミュニティが出現するとか・・・。

一方、一人あたりGDPを高めることが目標であるべきなのかどうかも分からないが、少なくとも無駄なものはやめ、成長を前提にした計画は見直し、資源や資本を再配分することをやらないと、精神的にはいくらか豊かになっても、経済的にはじり貧になるばかりであろう。

移行期的混乱―経済成長神話の終わり

移行期的混乱―経済成長神話の終わり



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