支えられた1か月 〜 新しい職場で1か月が過ぎました

新しい職場の1か月があっという間に過ぎました。

2010年の3月から2011年の2月まで、11か月もの間、どの企業にも属さずに充電・勉強をしていました。世間の見方では、11か月転職活動をしながら、次が決まらない間は好きなことをして過ごした、ことになります。

どちらの見方をされても構わないのですが、僕の中ではそれぞれの要素が混じっていて、楽しくもあり苦しくもあった11か月でした。この期間の心境については、実はこのブログでも素直に書いたことがありません。僕は、自分の弱いところを出すのが嫌なので、なかなかそういうことが書けないのです。しかし、今なら書けそうなので、日を改めて書くことになるでしょう。

新しい職場の1か月は、本当に大変なものでした。手前味噌に聴こえて嫌なのですが、僕は経営の一員としてその会社に入っています。なので、まだ社員と意思疎通ができていない段階で、震災の対応に追われ、組織もまた対応に揺れる中、自分でしかできないことを、実際の作業においても、そして何より、その職場が必要とする精神的な面においても、やってきたつもりです。後者の精神的な面とは、今は具体的に書けないのですが、今後いろいろな意味を持つことになりそうです。通常3〜6か月かかるプロセスが、わずか2週間の間に過ぎた感じでした。

そもそも仕事とは、どんな職場でも、どんな役割でも、大変なものです。だからこそ自分で責任を取って、しっかりとやり遂げるんだという気持ちが大事です。それさえあれば、大抵の苦難は乗り越えられる自信があります。その自信が、新しい職場でも芽生え、そして実際に自信につながった訳ですから、このことにはとても勇気づけられました。

一方で、いつも支えてくれる妻には、大変な気苦労と心配をかけたと思います。妻は、いつもはニコニコしているように見えて、実は顔色や声のトーンなどからその日の体調や疲れ具合を察し、その状態に合わせて声をかけてくれます。特に、僕が精神的につらいときに我慢してしまう性格をよく知っているので、そうした我慢を口に出すきっかけをいつも作ってくれます。

充電していた11か月も大変な気苦労をかけていた訳ですが、その頃は、精神的に追い込まれても、自分や家族との関係に限定されたいわば「内なる」プレッシャーでした。それが突然、経営という「外に開いた」プレッシャーになったのです。慣れない環境、新しい人間関係、グローバルに広がった複雑な仕事、など不安定な要素が満載です。当の本人は淡々とこなしていても、身近にいる妻が抱える心配は、自分が想像する以上に大きかったことでしょう。しかも彼女は、さまざまな仕事や社会の経験において、人を相手にすることを専門に行ってきました。相手の抱える状況を把握して、時に正面、時にさりげなく手を差し伸べてくれるのに、僕は自分の体調を維持するのが精一杯で、妻の苦労をねぎらうことも、妻の体調を心配することも、十分にできなかったように思います。

僕は、最も大切にすべき妻への言葉すら、この1か月の大変さに気をとられ過ぎて、自分の口から言うことができずにいました。

この場を借りて、僕の大変な1か月を支えてくれた妻に感謝を言いたいと思います。




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