価値観の共有〜チームを強くするには

組織のリーダーになって思うことは?そんな話を部下としていて、ふと気付いたことを早速行動に移した1日でした。

最近、僕のチームには、3人の新しい戦力が加わりました。ここ2か月の間の出来事です。これで10人のチームになったので新人さんが占める割合は高いです。この人たちが早期に持ち味を出してくれることが、チームにとって大きな意味を持ちます。
チーム全体の会議で、それぞれのアイデアを引き出す雰囲気を作る、場を作る、ことがいつも以上に重要になってきます。ところが、僕ともう1人、議論を盛り上げることにうまい人が、最近めっきり忙しくなって、以前に出来ていたような自由な議論ができなくなってきました。
別の側面から見ると、マネジメントの役割が増えた結果、一緒に考えて行くという立場からアドバイスを行うことが増えてきたのです。そのことと、チームのレベル自体が上がっていることが奏功して、議論の内容は深くなっているのですが、多様な考えをぶつけ合うという創業時にも似たような雰囲気が薄れてきました。以前は、いろんな話題に飛びながら、考えを発展させていくというクリエイティブな雰囲気があったのです。僕は、そのクリエイティブな雰囲気が、チームを育て、ビジネスを育てるという「価値観」でチーム運営をしてきました。

ふと、自分が大事にしているその「価値観」、それは僕がチームの人を採用するときに話してきたことなのですが、それが日常の議論や会話でも伝わっているかどうか不安になったのです。思えば、自分がこの会社に入ったときに、その「価値観」に感心し、自分もそれを仕事で表現できたら、と思って努力をしてきました。自分が今のチームを前任者から引き継ぐときにも、その「価値観」を大事にしてきました。そして、僕らはその価値観と共に育ってきた、と思うのです。しかし、こうしたことは、新しく入ってきた人には伝えられないのではないか、と思ったのです。

僕は今勤めている会社が好きで、とりわけクリエイティブかつ自由なカルチャーに魅力を感じています。しかし、環境や人というのは変わることがあります。周囲からの会社や人に対する期待も変化します。これらのことが、従来感じていた「会社の魅力」や「仕事の価値観」が、いつの間にか自分の頭の中だけの、過去のものになっている可能性があります。

もし、このことが本当に起きているとすると、気づかないのは何故なのだろうか?1つの仮説は、自分が今の会社のファンであること、自分自身がやってきたことに対してファンであること、から来る弊害なのだと思います。自分自身はそう変わるものでもないし、自分の気持ちもそう変わるものではない。

危機感を感じたので、新人さんを中心として会議を編成したり、一方でリーダー格の経験者が自由に話せる議論の場を作りました。必要と思ったときに、すぐ行動するというのが自分の売りです。考えだけでは何も生まれないし、変わらないから・・・。

仕事を好きになれる、会社を好きになれる、ことは幸せなことです。しかし、その幸せを他人が同じように感じているかというと、そうであるとは限りません。いかにリーダーは、自分ならびにチームを客観視して、良い環境作りに徹し、自分の得た幸せを分けていくか・・・。難しい課題だが一つの重要な役割だと思います。価値観の共有された組織は強いのです。




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