遠慮のない議論 〜 日本と海外の違い

今日は、この出張の中で、最大の山を越えたと思う日だった。社内の会議ではあるが、最終的な提案をぶつけて議論を行ったのだ。提案を今日の案まで絞っていく段階で、おおよそ、議論の結果は見えたのだが、自分が思っていることと意思決定に参加する人たちが思っていることのギャップを具体的に知ることができ、次の進め方を考える上で重要だった。

今日議論をした人たちは、今のビジネスを創って育ててきたという意味で、深い信頼を置く仲間である。特に最近は、お互いが思ったことを遠慮なく言うので、議論はいつも白熱するし、終わってからの精神的な疲れも大きい。しかし、思ったことを言い合えるということは大事で、それぞれがより信頼を置くという意味で、欠かせない要素になっている。

ちなみに、前の会社も含めて、「遠慮なく言う」議論を経験したことは、今までにはなかった。比較的自分の考えをはっきり伝えたり、相手に考えを出すよう促すことはしてきたが、どちらかと言うと遠慮がないのは自分であり、思いっきり話が前に進むということはなかったと思う。僕が今いる会社は、日本・米国という拠点とは関係なく、多国籍な人の集まりであり、それぞれが違う国で教育を受け、仕事の経験を積んできているので、はっきりと自分の考えを伝えないと何も始まらない。それはみんなが暗黙に思っていることでもある。

しかし、少し慣れないと辛く感じることも正直多い。何しろ、思ったことをいちいち言われることになるのだ。日本の良いところでもあり悪いところでもあるのは、全てを言わなくてもある程度の配慮が行き届くということだろうか。最後の一言を言われなくても、「これは駄目か」と思う瞬間がある。諦めの姿勢をこちらも示すし、相手もそれ以上に攻め込むことはしない。

多国籍な職場では、そうした配慮は存在しない。最後に一言、「ビジネスにはならない」ときっぱり言われることもあるのだ。コミュニケーションが重視されかつ日本人が多い職場では、配慮なく仕事を進めると、「あの人は勝手だ」とか「横柄だ」という印象にもつながりかねない。そうなると、仕事がやりにくくなる。外国の人は、ビジネスでは遠慮はしなくても、議論が終わると、相手に対する興味とか尊敬と言う意味での”配慮”をすごく感じることが多い。



【編集後記】明日は、出張の最終日です。今日は、おそらく疲れもピーク。明日は、みなさんへの挨拶も兼ねながら、今後の展開を確認しあいたい。ちなみに、米国に2週間もいると、体重の方もかなりピーク。食べる量は注意してきたのに、使っている油の質や量が違うようだ。それなのに、今日は歩かずケーブルカーで帰ってきてしまった。歩くと20分くらいでいい運動のはずなのに。チケットは案外かわいい。




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