外資系企業での議論 〜 言葉に頼らなくてもいける方法

外資系の企業には、いろんな国の人が働いている。コミュニケーションが重要なのは言うまでもない。

想像のとおり、日本人どおしのコミュニケーションよりも時間がかかるし、特別な配慮が必要な場合も多い。もっとも、日本人どおしだからと言ってコミュニケーションが上手くいく訳でもない。それは、日系の会社で経験することと同じだと思う。

夕方、そろそろ帰ろうかとしていたところへ、「5分だけいい?」と米国人の同僚から話しかけられた。話は、今一緒にやっているプロジェクトの方向性についての提案である。この人は、いつもアグレッシブで、一度思いついたらなかなか引かないタイプだ。

この人はアグレッシブだが。「自由で前向き」といった僕が米国について抱くイメージとは違う。たぶん、本人の育った環境や性格によるところが大きいようだ。

彼の提案によると、ゴールは僕と同じなのだが、アプローチがまったく違う。ゴールは、プロジェクトの利害関係者に僕たちが共有している考えを理解してもらうことである。彼のアプローチは、派手なプレゼンで一気に利害関係者の心を奪いたい考え。僕のアプローチは、利害関係者の心をつかむために、幾つかの論拠や実績を積み、自分たちとの信頼関係を作ることが不可避という考えである。

コミュニケーションは英語である。米国は、議論を好むお国柄だと思うが、お互いの意見を尊重しながら意見を主張するという点は紳士的であるとも思う。僕の経験だが、日本の会社での議論よりもはるかに相手を敬う気持ちが伝わってくるのだ。

しかし、お互いの意見を尊重するとは言っても、それをある程度受け入れて妥協点を探るケース、議論によってどちらかの意見に収斂するケースと、全くの平行性を辿るケースと、その結果はいろいろである。今日は、はじめ平行線を辿っていったが、途中からどうも平行線ではなくなってきた。どうやら彼は、僕の意見をあまり聞いていないようなのである。

こうなると、僕も強めに主張しないといけない。議論の仕方については、ちゃんと学んだことはないけれど、リアルタイムで得た感覚から戦略を変えていくことが大事だと思った。

強めと言っても、本当に白熱して意見を言うのではなく、白熱しているように演じることも時に必要だろう。それは、決して話術だけの話ではない。話術では、言語の壁で押されてしまうからだ。話術によらなくても、心理的な違いや変化を読んで、トーンや強弱を変えていくのである。

これは、国籍の違い、性格の違い、言語の違い、議論の習慣の違い、にかかわらず有効なようである。議論のゴールははっきりしているはずだから、それを常に意識し、臨機応変に自分のやり方を変えていくことが、こういう職場でやっていく方法だと思う。

終わったときは、ものすごい疲れるけれど…。




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