社内の評価と肩書き

今日は、自分の勤める会社で、昇進の発表がありました。そして、僕も昇進することができました。今までやってきたことが形になって、素直に嬉しかったです。

自分の良い話になると、とても照れるものです。「おめでとう」と言われる度に恐縮したり照れたりしていました。しかし、あまりに恐縮するのも失礼だと思ったので、嬉しい様子を頑張って表現していました。

こう書いてきて、全く逆のことをここでは述べます。


僕は普段から、肩書きや昇進は、「その人の普段の仕事に対する必然的な結果だ」と思っている。僕は、肩書きを得るために仕事をしようと思ったことはない。会社の看板は借りて仕事をさせてもらっているけれど、肩書きで仕事をする場面は、取引相手が肩書きを気にするケースだけだ。

肩書きが変わったところで、お客さんが求めるもの、ビジネスの戦略、部下の育成、自分の育成、というのは本質的には変わることはない。逆に、肩書きが上がってからでないと、できない仕事というのは原則ない。もっとも、社長と平社員という極端なケースは別だけど、課長と課長代理というような、1つの肩書きの差であれば、上司への配慮は必要だが、仕事ぶりでは差がないと思う。

そうなのだ。常にちょっと背伸びをするくらいが、むしろ丁度良い。そう思う方が、自由に取り組めたり、失敗を恐れる心配がなかったりする。昇進した後になると、却ってプレッシャーが強くなる。

それゆえに、いつ昇進しても良いように、普段からの準備が必要だ。そうなると、昇進や肩書きは一つの通過点でしかなくなる。その通過点を通過点として捉えられるか、ゴールと見てしまうかで、その人の器が決まってしまう、という感覚がある。

そう考えると、仕事には常にストイックさが伴うし、今必要とされることは何かを嗅ぎ取ってそれに向かって動かしていく力が必要だ。そのレベルを上げていくことが、よりインパクトのある仕事をすることに繋がっていくし、いろいろな人たちとの関係の中で、有機的に仕事を進めることにもつながっていくのだと思う。




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