完璧を求めない

自分に厳しい人って、他人にも厳しい傾向があると思う。僕は、その緊張感がとても好きだ。特に、プロフェショナルの関係においては…。

一方で、人の器、懐の深さという言葉も好きだ。器にはいろいろな定義があるが、その一つに、誰かがへまをしても、「ああ、いいよいいよ」という器量があるだろう。何故なら、人は常に完璧であることはあり得ないからだ。

人は、間違えることもあるし、常に同じ状況、同じ精神状態でいられることもあり得ない。これと対極にあるのは、「プロなんだから、常に平静を保って欲しい」という考え方もあって、それは真っ当なのだけど、現実問題として「常に」というのは難しい。「常にそうあるべく努力」をしないのは言語道断だが、結果はついてこないときがある。

そう考えていくと、完璧を他人に求めることは自分の首を絞めることでもある、ことに気付く。ある程度、「人は間違えるものだ」とし、その間違えを予測して動く方が、「間違えないものだ」と期待を持つことよりも、精神衛生上良いと思う。そして、実際人は間違える。

一般論として、「完璧を追究すること」は悪いことではない。ただ、ここで言いたいのは、それを自分に対して求めていくことと、他人に対して求めていくことは、実は意味が全く違うということだ。

完璧を求める気持ちがある人は、元来自分に厳しい人であることが多いので、その価値観は大事にし続けて欲しいと思う。その上で、他人は自分ではないのだ、という理解の下で、少しのりしろを持って人間関係を創っていくことが良い結果につながるのではないだろうか。




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