書評〜デッドライン仕事術、ブレインストーミングは時間の無駄?


吉越浩一郎さんの「デッドライン仕事術」を読んだ。吉越さんはトリンプの社長だった人で、メディアにも多く出ていた人なので、ご存知の人は多いだろう。

「デッドライン仕事術」の本題でもある仕事にデッドラインを設けよう、というお話や、トリンプで実践されていて有名な「ノー残業」というコンセプトは、大体想像の範囲内の話だった。ちなみに、それらに異論をはさむつもりはない。


「自分の場合はどうだろうか」と照らしあわせてみた。デッドラインについては、その重要性は気付いて行動しているものの、残念ながら、その徹底度合いは、まだまだ不十分と言わざるをえない。しかし、少なくともチームのルーティンで回す仕事については、一日の中で作業の終わりを決めさせ、それを守るようチームリーダーとして促しているつもりだ。

ふと気づいたのだが、最近、このことを言い続けることが減ったようだ。言い続けないと、仕事はずるずると後ろに倒れてしまい、それが当たり前のようになってしまう。

本当は、僕が言わなくても、率先して時間管理をしてくれるサブ・リーダーが出てきて、数分単位でこだわってくれるといいのだが。こうした取り組みは、うるさい奴が一人はいて、口うるさくやっていかないとなかなか定着化しない。


一方、この本の中で、「ブレインストーミングは時間の無駄」という主張があって、これがなかなか面白かった。僕は、それでもブレインストーミングは運営によっては意味があると考えているが、確かに、ブレインストーミングによって『みんなが話しあって出した結論は「責任の所在」が曖昧だ』(本文より引用)というのは、その通りだと思う。

僕は、ブレインストーミングの主催者がはっきりしていて、しかもそれが一人であれば、ブレインストーミングは機能すると考えている。ただし、ブレインストーミングに参加する人は、自分の意見を言わないといけない。そのようにできる人を集めるという意味では、参加者は選りすぐりでなければならない、という条件も付く。これらが崩れてしまうと、時間の無駄だ。

会議についても、常に「参加者数×掛ける時間」でコスト換算するようにしている。このコストに見合う会議でなければ、チームとしての生産性を削いでしまう。

吉越さんも主張しているが、会議は決める場であって、話し合う場では本来ない。そういう意味で、ブレインストーミングも例外ではない。望ましい会議の形態は、出来る奴がたたき台を作って持ってくる、ことであり、それによりたたき台を作る人にとっては良い成長の場を提供するし、チームの生産性も上がる。逆に言うと、一人でたたき台も作れないようだと、会議にいくら出ても力はつかない。

他にも、社内研修に対する考え方とか、中長期の経営計画についての考え方など、面白い視点を頂くことができた。

デッドライン仕事術 (祥伝社新書)

デッドライン仕事術 (祥伝社新書)




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