ボランティア〜もうひとつの情報社会

先日ボランティアについて書いたときに、読んでいた本がこれ。

ボランティア―もうひとつの情報社会 (岩波新書)

ボランティア―もうひとつの情報社会 (岩波新書)

著者はボランティアに参加する傍ら、ネットワーク論の教授である。いや逆か?教授でありながら、ボランティアに参加する。この優先度は本人ではないと分からないなあ。

ボランティアが自発的なものであることは言うまでもないが、自発的ゆえに「周囲から守られない」というのは直感的に理解できるだろうか。例えば、ボランティアを行うことで気付く、その活動の限界とか、自分の限界とか、周囲の目とか、さまざまな感情が呼び起こされることがある。

そこから、本書は情報ネットワークとの類似性について語っていくのだが、よく分からなかったなあ。しかし、情報を与えるのもボランティアも、共に自発的な行動であって、それによる見返りを期待しないものなのだが、「そこに得るものがあるから、次の価値が生まれることになる」というところは「なるほど」と唸ったのである。

それが直結しているのはWIKIだろう。本が出たのは92年なので、まだWIKIは存在しなかったと思うが、それゆえにこの本の論点は面白いと言える。

ここからは僕が適当にめぐらせた思考になるが、ボランティアをすることで得るもの、知り合う人、感じること、次にやろうと思うこと、などはみんな価値が計れない。価値が計れないものはお金で手に入りにくいから、本当は価値がある。ただ、意味づけが難しいし、その意味が分かるのはどのくらい先になるかが分からない。

そうした不安と、今やるべきことの優先順位が、均衡しないとなかなかボランティアに踏み込めない。

しかし、ボランティアを行っている瞬間って、価値や意味がすぐには分からないからこそ、ゆたかな時間だとは言えないだろうか。そうした時間が持てるくらいの心のゆとりを持ち続けたいものである。どんなに小さなことでも、無理せずにできる範囲で。




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