心の余裕と周囲への感度

心に余裕がある状態と、そうでないときの違いについて、考えてみた。心に余裕がないときは、仕事に忙殺されているか、やるべき目標と期限がはっきりしていて、その達成に神経を張っているとき。「あっ、今は余裕がないなあ」と気付くことで、その余裕のない状態は幾分か緩和されるが、余裕を取り戻すまでの決定的なものではない。

余裕がないと、感情や言葉に現さなくても、表情やしぐさにつながってしまうし、それによって周囲との関係も悪くなるようだ。たとえば、余裕のない人には話しかけにくいだろう。

そんな状態から脱するにはどうしたらよいか。残念ながら、「これだ」と言える答えもテクニックも持ち合わせていない。しかし、そういう状態のデメリットは、既に書いたように認識できた。そう考えると、仕事の質・量・スピードを追求することにすべての時間を費やすか、その時間の一部を心の健康のために投資するかは、自分が決定すべき問題で、おそらく後者のアプローチを取るのが良いようだ。それは正解のない、価値観の世界ではあるけれど。

実は、このように自分を客観視することができるだけでも、心の余裕というのは捻出できるような感覚を覚える。きっと心というのは、抱えている物事の量や大きさ、焦点の当て方によって、大きく動かされる存在なのだろう。別の観点では、自分自身をいたわるだけでも心の余裕はできるし、そのいたわる作業や褒める作業は自分を客観視する作業でもある。

こうした余裕が認識されると、周囲の人に対する感度が急に上がってくるという嬉しい副作用も経験した。気になる人の動きや表情に対し、自分からアプローチをかけるなど、頼まれてやる仕事とは別の、五感や六感をきっかけとするコミュニケーションに発展できるようだ。

スポーツでも自分の体のバランスや調子との対話ができている時の方が、より高いパフォーマンスを発揮できると思う。それは、感覚が研ぎ澄まされていく経験そのものである。

仕事でも、同じではないだろうか。




こちらへも遊びに来て下さい。→金融の10番は日本人に任せろ!