書評 〜 フリーフォール、グローバル経済はどこまで落ちるのか
フリーフォールとは、2007年以降の金融危機を発端にした経済の急降下を示す様子である。金融危機は、アメリカの住宅バブルの崩壊に端を発したもので、そこに至るまで、市場や金融機関に自由裁量を許した世の中の流れと、政府やFRBなどの規制当局に対して、批判している。
「市場に任せておけば良い」という規制緩和論者、ならびに新古典派と呼ばれるエコノミスト(シカゴ学派)、事態を放置したグリーンスパン氏、そして何より責任を取らず報酬だけ取ろうとする金融機関に対して、批判的である。当のスティグリッツ氏は、政府が一定の介入をすべきであるという規制擁護の立場をとり、景気対策についても金融政策だけではなく、財政政策という形での政府の関与を求めている。
本書は、既に金融危機が起きた後に書かれているため、事実の整理や人々の言動の描写には詳しいものの、いくらスティグリッツ氏がバブル崩壊前より警告を発していた人物だからと言っても、そうでない人が書いた本と大差ない。つまり、今読んで「なるほど」と思える議論はない。面白かったのは、著者がクリントン政権にいたとき、考えの違うエコノミストと日々議論を重ね、結果著者の主張が選ばれずに規制緩和の道に進んだアメリカ政府の話だろうか。
今、論じることができるのは、過去の過ちを整理することであり、「ああすれば良かったはずだ」などという議論は空論にすら聞こえてしまう。著者もそのあたりはわきまえており、今さら経済学派の議論を蒸し返すまでもなく結果を見たら明らかだろう、と言わんばかりで、そのことに対しては少ししか紙面を割いていない。経済学派について学びたい人は、それでも9章の新古典派対新ケインズ学派の話は面白く読めるだろう。
スティグリッツ氏もこう言っている。今大事なのは犯人捜しではなく、なぜそういう仕組みになってしまったかを理解することで、新しい仕組みについて考えることだ、と。何故、規制が必要なのか、逆に規制のない世界で、モラルが働かないのは何故かという主張は、新しさはない議論だがポイントを突いている。
スティグリッツ氏は、一時期世銀にいて、米国主導の途上国援助に反対だったと言われている。それと同様に、米国が持ち出した「金融自由主義」に対しても批判している。
本書を読んで、最も難しいと思ったのは、「放っておくと資本も人もお金の流れる方向に流れていき、そして事態を収拾することができなくなる」という自然の性質に対処することだろう。それは、残念ながら「人々の良心だけに期待するのは無理である」ことを示している。後になって高額のコストを支払うのを防ぐためにも、規制が必要なのだ。
金融機関は、競争の中で、お客さんやビジネスを他人にとられるような行動は取れない。しかし、著者が指摘しているように、イノベーションは利益を上げるために行われるのではなくって、本来金融機関に求められている広い役割について、行われるべきだろう、と。資本主義、競争市場は、一般に良いものを世の中にもたらしてくれたと信じたいが、節度をコントロールするのは不可能だ、ということだ。
- 作者: ジョセフ・E・スティグリッツ,楡井浩一,峯村利哉
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2010/02/19
- メディア: 単行本
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【編集後記】
400ページにもなる訳本は、著者の力強い主張を見事に表していた。訳文そのものは読みやすく、また読み応えがあって楽しかったが、おそらく原文の癖なのだろう、なかなか議論が進まない部分もあって、辛抱しながらの読書となった。
ハードカバーの本は、新書ではなかなか表せないボリュームの議論ができ、読む方も勉強になる。しかし、夏は大変だ。それなりに重い本を持ち歩くだけで汗となる。汗をかいて読むのはこのことかと思うほどだ。
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